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Channel: Geckooは夜に鳴く
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チーズは何故さけるのか?。

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今日は仕事さぼって、テキトーに遊んで過ごしたのです。
夕方からは、食材持って知人の家に押しかけて「寒くなったし鍋でも喰おう」と、床下収納から土鍋を出してもらって、鶏の水炊きで一杯。
最近、色んな新しいお鍋が続々と開発されてるみたいだけど、あんまり旨いと思ったことないなぁ・・・。
キムチ鍋はくどく感じるし、トマト鍋も、ん~~~どうしたもんかなこれは・・・と思うばかり。カレー鍋も食べたけど、ただのカレーとしか思えん。
豆乳鍋ってヤツだけはメッチャ好きで、これ考えた奴、天才!と思っているんですが、ま、どうでもいい話ですね。
 


お喋りしながら、だらだら飲んで食ってして、お腹もくちくなってきたけど、お酒はもうちょっと召し上がりたい。
ってところで、「なんかないの?」とか厚かましく聞いたところ、友人が「ん~、こんなもんしかないわ」と出してきたのが、「さけるチーズ」でした。
 
 
いえ、私も「さけるチーズ」なるものが出回っているのは知っていました。
が、目の当たりにするとふと考えてしまいます。
 
こうして商品に「XXできる○○○」と銘打たれた場合、これはその商品の長所であり、売り文句です。
「すぐに使える○○○」とか「選べる18色」とか・・・まあなんでもいいですが、こういうのは、他の商品との差別化を図り、消費者にどうです?いいでしょう?、と迫る殺し文句であるはずです。
 
ここで、「さけるチーズ」というのは、それほど魅力的なことなのでしょうか?。
ちなみに私は、チーズがさける、という事態は、別にプラスでもマイナスでもないことのような気がします。
ん・・・・っていうか、チーズに対して「さける」という属性を求めたことがない・・・っていうか、そもそもチーズと「さける」ことにかんして何の関連も感じないというか、むしろ、同じ関連がないにしても例えば「空飛ぶチーズ」とか「震えるチーズ」とかだったら何だかわからんけどスゴイ気もするけど単に気持ち悪いだけか・・・喰う気はせんな・・・うん、っていうか、要するにチーズが「さけた」ところで私は嬉しくも悲しくも驚きも可笑しさも愛おしさも感じないのであります。
 
そうそう、同じチーズでも「とろけるチーズ」と言われると、そうかぁ・・・とろけるかぁ・・・それは何よりだなぁ・・・と、個人的に嬉しいことだし、世間一般でもそれが喜ばしい状況であることは想像がつくのです。
さらに伸びたりすると、もうたまらんと思う人が人類のおよそ70%であることも察しがつくのです。
でも、果たしてチーズがさけて喜ばしいのは、人類の何%なのでしょうか???。
 
とブツブツ友人に言いながら、実際にチーズをさいてみて、
「オモロイか?これ?」
と問いただしながらも、さいたチーズで「ねじりチーズ」を作ったり「結びチーズ」を開発したり、松葉相撲の要領で「チーズ相撲」を取ったり、色々したんだけど、やっぱりイマイチやなぁ・・・。
 
 
ところでチーズには「切れてるチーズ」っていうのもあって、
「さけるチーズ」や「とろけるチーズ」とは少々文脈は異なるものの、
なぜに人はチーズに対して、そういった付加価値を求めようとするのか・・・という新しい疑問を抱くに至りました。
 
さけるチーズは弾力があって、サキイカみたいでしたが、
個人的はやっぱり「チーズがさけてオモロイか?」と思いました。

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